こんにちは、ホロンです。
最近、朝起きたらノートに思いついたことを書きなぐってみることにしています。
朝起きた時は脳が一番フレッシュな状態であり、そこから湧いてくるアイディアは書き留めなければスルスル抜け出てしまうと聞いたからです。
この際に、いちいち書く内容を吟味したりしません。
思いつくままを書いてみることにしています。
今日は22行書いてみることができました。
そして、今その内容を読み返してみたところ、こんなことが書いてありました。
「そもそも書くことがないとかネタが無いとか言うからそういう現実が湧いてくるんじゃないか?ネタがどんどん湧いてくるって言うようにすればバンバン湧いてくる気がする。面白いやんけ」
…なんか若干日本語が怪しい気がしますが、頷いた部分もありました。
僕は何かにつけて、
「今日はブログに書くネタがない」
とか言っていましたが、言霊の考えに従えば、自分が言ったことが現実になって現れています。
つまり、ブログに書くネタがないって言っているから、ネタが湧いてこない現実が現れているということ。
それならば、
「どんどん書きたいことが湧いてくる!」
と言っていればもしかしたらどんどんネタが溢れ出てくるのかもしれません。
ネタ切れにならない人というのは日常全てを学びにすると決めている人であり、
「我以外皆我師(われいがいみなわがし)(自分以外はみんな自分の師匠)」
という生き方をしている人です。
この人から学ぶものはなにもないって思っていたら、そもそも学ぶ姿勢を持っていないのですから何かを得ることはありません。
でも、絶対にこの人から何かを学び取るんだ!と思っていたら、必ずその人からしか学ぶことができないものがあるはずです。
以前も言った通り、親兄弟や長年連れ添っている夫婦ですら自分と全く同じ人生を歩んでいる人はいません。
それぞれ興味を持つことも違いますし、どのジャンルに詳しいかも全く違います。
Aというジャンルが得意な人はBというジャンルが苦手ですし、逆にAというジャンルが苦手だけどBというジャンルが得意な人もいるわけです。
自分が苦手な部分は得意な人に任せ、逆に自分が得意な部分で手伝う。
それが美しい助け合いだと思いますし、循環しているいい状態だと思います。
そして可能なら自分が詳しくないジャンルのことをその人から教えてもらったら自分の見識を広げることにもなりますよね。
この世の中はまだまだ知らないことだらけです。
むしろ、いろんなことを知っていけば知っていくほど、自分は全然なにも知らなかったんだと気づくようになっていきます。
我以外皆我師という気持ちで過ごすことができれば、コンテンツに困ることなんて一生ないでしょう。
…と、まあ偉そうなことを言いましたが、僕自身も「我以外皆我師」の考えが完全に身についているわけではありません。
長年の付き合いの人が同じようなことばかり言っていたら、
「また同じこと言ってるよー…」
ってどうしても思ってしまいます。
本当はその一瞬一瞬が全く同じわけがないのですが、こればかりはその時その時で「我以外皆我師」の考えを思い出して、似たようなことを言ってても細部は違うはずだと思って学ぶようにしていくしかないでしょうね。
自分はそのことについてはもう知ってるよという態度でいるのではなく、初めて聞くような姿勢で聞くことも大事です。
聞き慣れたことを初めて聞くように聞くのはなかなか難しいかもしれませんが、これも練習あるのみ。
過去や未来なんてものはなく、すべてが”今という一瞬の積み重ね”だということを思い出し、瞬間を生きていけるようにこれからも学んでいきましょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。