雑記

『徒然草』を少し音読

こんにちは、ホロンです。

今日は『徒然草』を少しだけ音読しました。

徒然草は吉田兼好が1330年頃に執筆したとされ、約700年前のものです。清少納言の枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並び、日本三大随筆と言われています。

僕は『徒然草』については序段の、

「徒然なるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」

という有名な一文しか知りませんでしたが、なんとこの徒然草、全部で244段もあるのですね。

『徒然草』は、現代で言うエッセイのようなもので、作者である吉田兼好が日々の暮らしの中で見聞きし、感じたことを気ままに書き綴ったものだと知りました。

僕が書いているこのブログも、同じくエッセイのようなものなので、日本三大随筆の一つである『徒然草』から学べることが多いと思い、読み始めたのです。

言葉遣いが現代とかなり異なり、読み辛い部分もありますが、音読してみることにしました。

読み進めると、「人間という生き物は昔からそれほど変わってないんだな」ってことがよくわかります。

例えば、第十八段に

「人は、己(おの)れを約(つづま)やかにし、奢(おご)りを退(しりぞ)けて財(たから)を持たず、世を貪(むさぼ)らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは、稀(まれ)なり。」

(人は、自分の生活を質素にして、贅沢を退けて、財産を持たず、利欲に目がくらまないのが最高であろう。昔から、賢人で富む人は滅多にいない。)

とあります。

昔から「贅沢せずに質素に暮らすのが良い」と言われてたのですね。

今の僕らの生活は、吉田兼好が生きていた時代の一番贅沢な暮らしをしていた人よりもはるかに豊かです。

冷蔵庫、掃除機、テレビ、パソコン…便利な家電が次々登場し、エンタメにも事欠かなくなってきました。

それでも、幸せじゃないと感じる人が多いのはなぜでしょうか?

テクノロジーの進化が必ずしも幸せに直結しているわけではないのかもしれません。

これから先も、AIの台頭など、テクノロジーはさらに進化を続けるでしょう。

それでも、人間が「幸せを感じる瞬間」は昔からほとんど変わっていないように思います。

ならば、「昔はどんなことで幸せを感じてたのか?」を考えて、それを参考にするのもいいかもしれません。

『徒然草』の二十一段では、月・露・花・風・水などと触れ合うことによって心が慰められると述べています。これらはどれもお金をかけずに楽しめるものですね。

こうした、何気ない幸せを噛みしめることが大事なんだなと改めて感じました。

まだ序盤の二十五段あたりまでしか読んでいませんが、少しずつ読み進めていこうと思います。

それでは、今日はこのへんで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。