雑記

隣の芝生は青く見える

こんにちは、ホロンです。

最近特に、「人は他人を羨ましいと思うものなんだろうな」と感じています。

いわゆる、「隣の芝生は青く見える」というやつですね。

僕は独身ですが、時々既婚者を羨ましいと思うことがあります。

しかし、逆に既婚者からは「独身って良いなぁ」と言われることがあります。

また、僕が子どもの頃は、大人は何でも買うことができて羨ましいと思っていました。

しかし、大人になった今では子どもの純粋さや、失敗を恐れない行動力がとても羨ましいと感じるようになりました。

これは恐らく僕だけではなく、多くの人に当てはまる感覚なのではないでしょうか。

求めてやまないくらい熱望していたのに、実際に叶ってみると、

「こんなもんか」

と感じ、期待していたほどの満足を得られないこともあるはずです。

そして、人によっては、

「もっと手に入れないと幸せになれない!」

と、さらなる欲望に囚われてしまうこともあるでしょう。

もう少し違う言い方をすると、

「人間は、自分に足りない(と感じている)ものを求める生き物」

と言えるのかもしれません。

しかし、完璧な人間などいないという大前提を忘れてはいけません。

仮に望むものをすべて手に入れたとしても、完璧になることなどできないのです。

ということは、自分に足りないものに目を向けている限り、どこまで行っても足りないものを埋め合わせようとする生き方になってしまうのではないでしょうか。

どこかで、「自分はそのままで充分満たされている」と心から感じられる必要があると感じます。

とは言え、これらは口で言うのは簡単ですが、実践するとなると非常に難しいものです。

僕自身も、「自分は今のままで充分幸せで満たされている!」と心から感じられているかと言うと…まだまだそこまでの境地には達していないなと感じています。

どうしても、自分に足りないと感じるものに目が向いてしまうのです。

もしかしたら、一番いい方法は、望むものを次々手に入れて、その”何かを求め続ける世界”に飽きることなのかもしれません。

人間は、飽きたら次へ向かうものですからね

逆に言えば、飽きない限りはずっと同じところに留まり続けるものなのです。

でも本当は、誰かと比べ続けていてもキリがないのですよね。

それに、本当に欲しいと感じているものは実はすぐ近くにあるものなのかもしれません。

まさに、『幸せの青い鳥』の童話の通り、幸せはすぐ近くにあるものなのです。

自分の中にある小さな幸せに目を向けていくことが、日々の充実感が変えるキッカケになるのではないでしょうか。

これからも、小さな幸せを数え続けていきます。

それでは、今日はこのへんで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。