こんにちは、ホロンです。
僕はやっぱり自分のキャラをまだ偽っているような気がしています。
常に感謝の心でいたいという気持ちに偽りはないつもりでしたが、先日ちょっと耳が痛いことを言われてしまってカチンと来てしまいました。
しかし、そのことはSNSなどでは言わず、あたかも毎日感謝の心で生きていますって感じに発信してしまったのですよね。
もちろんただの愚痴で終わらせるのは僕の本意ではありません。
ただ、カチンと来たということのほうに気を取られ、良い解釈をするということができずじまいになってしまったのです。
あたかも最初からカチンとくるような出来事は存在しなかったという感じに発信していたように思います。
本当はそういうことも含めてありのまま書いていったら良いんじゃないかなって思うのですが、どうにもキャラ作りをしてしまうようです。
顔出しも声出しもしておらず、リアルバレする可能性は限りなく低いにもかかわらず、です。
仮にバレたとしても、ブログでの発言と実際の自分のキャラとの乖離がないようにしていたほうが良いはず。
頭ではわかっているのになんで素直な自分をなかなか出せないのかな…と考えたのですが、たぶん今までの人生で自分の意見を全否定されるような出来事があったんだと思います。
そこまでは誰もが通る道です。
しかし、僕はそれを意見が否定されたと捉えるのではなく、人格そのものが否定されたと思いこんでしまったのでしょう。
その経験から「こういう自分を出したら否定されるんじゃないか」って恐怖が勝ってしまうようです。
頭では2:6:2の法則のように、どんな自分だろうとも2割の人には嫌われるということはわかっているのですが、なかなか踏み出すことができないという状況が続いています。
どんな人でも、どんな自分を出しても受け入れてもらえるという安心できるところなら自分の本来の姿を出せるようになるはず。
人格否定をすることなく安心できる環境を作っていきたいですね。
そのためにもまずは僕自身がどんな自分でも自分は価値のある人間だと心から思えるようになるのが目標です。
人間関係がゴチャついてしまうのも、心で思っていることと言葉が一致していないからだと聞いたことがあります。
今回はそういう自分の葛藤も正直に書いてみようと思って独り言のように書いてみました。
ただ、そういう素直な自分が出せない自分はダメだと卑下するつもりはありません。
自分の中には崇高な人格の自分もいるし、サボりたいと感じる自分もいるし、頑固でプライドを捨てられない自分もいます。
同じように、素直な自分が出すのが怖いと感じる自分もいるというだけの話。
そして、否定しようとしたら反発されるものです。
これは自分の中の人格だってそう。
どんな自分だろうとも、そういう考えの自分もいるんだとまず認めてあげること。
認めるから癒やしが始まり、癒やされたら浄化されて次へ行くのです。
どんな自分だろうとも、否定することなく認めていきます。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。