こんにちは、ホロンです。
「馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできない」
ということわざがあります。
僕は昔はこの意味がわかりませんでした。
「水辺に連れて行くことができるならその場で飲ませられるでしょ??」
と思っていたからです。
しかし、今ならこの意味がわかります。
最終的な決定はその人のもの
あることで困っている人がいたとして、その地点をすでに通過した人だったら、その人にアドバイスをすることはできます。
例えば、出産を経験した人は妊娠している人に対して、妊娠時に気をつけたほうがいいことをアドバイスできるでしょう。
もちろん、自身の経験が相手にもそのまま当てはまるわけではないので、そこだけは注意が必要になりますが。
ただし、そもそも受け手がアドバイスを聞く気がなかったら残念ながらどんなに言葉を尽くしたところで伝わることはありません。
伝える側は、
「つわりがひどいときには〇〇をしたほうがいい」
「食事は△△を食べるのがオススメだよ」
などの親身なアドバイスをしてくれるかもしれません。
しかし、受ける側が、
「いや、自分はつわりひどくないんです」
とか、
「その食べ物嫌いなんですよね」
と返答してしまったらそこで終わりです。
アドバイスした側はいい気分にはなりませんし、アドバイスされた側も結局実行することはないでしょう。
親切心で水辺に連れて行く(お膳立てをする)ことができたとしても、その水を飲むかどうか(情報を活用するかどうか)は馬(その人自身)が決めることです。
情報は行動に移してこそ
どれだけ良質な情報を手に入れたとしても、ただインプットするだけではなんの意味もありません。
どんな情報だったとしても実行して初めて価値が生まれます。
しかし、多くの人は情報を得るだけで満足してしまうものです。
かくいう僕自身、
「これだけ素晴らしい情報を手に入れたんだからこれで自分の人生はよくなる!」
と考えてしまっていましたが、当然ながら情報を仕入れただけだったので、人生が好転することはありませんでした。
いえむしろ、実行に移さない情報が増えたことでかえって行動の足かせになってしまうことすらありました。
どんなに文章がうまくなる型を教わろうが、どんなに絵がうまくなる方法を教わろうが、結局のところ文章を書いたり絵を描くという行動に繋げないと上手になりようがありません。
そして、一部の天才を除いて多くの人は一発で上手にできるようになりません。
だから、結果が出るまではやり続けるしかないのです。
もちろん、方向性が間違っているときには軌道修正が必要です。
沖縄に行こうとしているのに北海道行きの電車に乗ってもたどり着けるわけがないのと同じです。
(偉そうなことを言っても僕自身、人のアドバイスを素直に受け入れられないことがあるのが課題です…)
消費活動だけでは限界が来る
インプットだけで何も行動しないというのは、言い換えれば映画などのエンタメ作品を見るのと何ら変わりありません。
ただの消費活動です。
悲しいかな、消費活動だけで人生が良くなることはありません。
個人的な意見ですが、どこかで生産活動に移行していかないとどんどん人生は退屈でつまらないものになってしまうのだと思っています。
そうは言っても、生産するのって面倒ですし大変だからやりたくないですよね。。
僕も消費するだけで人生を終わらせたいと思ってた人間でしたのでよくわかります。
しかし、生産をせず消費だけで終わらせようとしていたらいつの間にか、
「もっと面白いもの」
を求めて現状に不満をこぼす結果になってしまったのです。
そのままだったら、
「自分は何もしない(せいぜいお金を払うだけだ)けど他の人はもっと自分を楽しませるコンテンツを提供するべき」
という考え方になってしまうと感じました。
その思考に陥っていると気づいてからなにかの生産活動をしたいと思うようになったというのもブログを始めた理由の一つです。
別にブログのようにインターネットを使うことだけが生産ではありません。
テレビで料理番組を見て同じものを作ってみたとかDIYで犬小屋を作ってみたとかでも立派な生産活動だと思います。
思考停止で頭に情報を入れるだけで終わらせるのではなく、実際に手や足を動かして行動を起こしていくっていうのが大事なのです。
相手を変えようとしてはいけない
人間は、今までと別の行動を起こすのは怖いものです。
特に年を取れば取るほど今までの自分がやってきた習慣を崩すことが難しくなっていきます。
それがたとえ自分の人生を好転させるものだったとしても、「今までと違う行動」であることに変わりはないからです。
だから心の底から、
「こんな人生は嫌だ!!絶対に変わりたいんだ!!」
と覚悟ができていない限り、外側からいくらアドバイスをしたところで行動が変わることはありません。
喉が渇いている人に水を渡すことができたとしても、その人が
「もしかしたらこの水には毒が混入されているかもしれない」
と考えて飲まないということもありえます。
基本的にはその人の行動はその人自身の選択であって、他の人がどうこうすることではありません。
その人にとっては「今」行動を起こさない理由があるのです。
そういう場合は無理強いしても「やりたくないことを無理やりやらされた」と思うだけでしょう。
どれだけ自分にとって大事な人であろうと、その人の行動を管理しようとしたり、無理強いしてはいけません。
こればかりは相手側に”助けられる覚悟”ができるのを辛抱強く待つしかないでしょう。
もちろん、だからといって
「あなたが今の人生になっているのは今までの選択の連続で、つまり全部自己責任なんだからあとは自分の選択でなんとかしてね」
というスタンスではさすがに愛がありません。
無理強いはしてはいけませんが、言葉は尽くす必要があります。
そのバランス感覚はやっぱり場数をこなして身につけるしかないだろうなって思います。
また、行動する自分の背中を見せていくっていうのも大事でしょう。
人間は楽しそうにしているところに行きたいと思うものです。
ということは、自分が楽しく過ごしていれば相手も興味が湧くようになるかも知れません。
そうなったときに改めて「自分はこれが楽しい!」と感じることに誘ってみるのもいいと思います。
心配事の9割は起こらない
僕はブログを開設していざ書こうとしても
- 「自分のこと知られるの怖いし…」
- 「著作権違反とかで訴えられたら嫌だし…」
などの言い訳がいくらでも出てきて、ずっっっと行動を起こせませんでした。
結局これらの心配事は(少なくとも現段階では)全く現象化していません。
特に一番怖かったのは炎上するかもしれないという考えだったのですが、これは言い換えれば、
「自分の数回の発言が全世界の人にバズるレベルの影響を与える」
と考えているということです。
それはさすがに自意識過剰というものでしょう。
個人的に自意識過剰は「あ、自分全然注目なんてされてないわ」を繰り返していくことで少しずつ剥がれ落ちていくものだと思っています。
ブログがハードル高く感じるなら、まずはツイッター(今はXというのでしたっけ)などで今日見たエンタメ作品についての感想を数行書いてみるとかでも十分です。
少しずつ行動に起こしていきましょう。
今日は長い文章になってしまいました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。