雑記

最後の機会になるかもしれないよね

こんにちは、ホロンです。

今日は家ではなく別のところに泊まっていたのですが、朝早くから、

「昨日家に長い間救急車が停まってたが何かあったのか?」

という旨の連絡をもらいました。

めちゃくちゃ焦りました。

結局、見間違えだったのか勘違いだったのかイタズラだったのかよくわかりませんが、特に我が家に異常はなかったようなので一安心です。

しかし、朝早くから大切なことを改めて学ばせていただきました。

当然のことではありますが、今目の前にいる人は明日も明後日もいつも通り過ごしているという保証なんてまったくないんだよということです。

もしかしたら、明日突然事故に遭うかもしれません。

突然何らかの病気にかかって救急車で運ばれるかもしれません。

そして当然ながらそんな予兆なんて全くないことが圧倒的に多いのです。

だからこそ、今目の前にいる人と関われるのは今日で最後かもしれない。

そう思って接することが大事ですよね。

とはいえ。

とはいえ、です。

「明日死ぬかもしれないなんてことは頭ではわかっているけどそれが簡単にできたら苦労しないよ」って話ですよね。

実際は、

  • 言いたいことを言えずじまいになってしまう
  • 明日も明後日も明明後日も変わらず元気でいるだろうと思う

こんなことはしょっちゅうです。

頭でわかっててもそれを実際に実行できるかどうかはまた別のこと。

だからこそ、そういう生き方ができる人に憧れるのですよね。

ただここでまた問題に上がってくるのは、

「自分にはそういう生き方はできない…」

と思ってしまうということ。

僕自身がそうでしたし、今でもメンタルが落ち込んだときにはこの考え方が頭を支配してきます。

そんな生き方ができるのは天から才能を与えられた特別な人だけだとすら思っていました。

「そうやって日々を本気で生きられる人たちというのは生まれたときから決まっているんだ。だから僕ら凡人が今更あがいたところでどうしようもない」

本気でそう思っていました。

ですが、今思えばそれは正確ではありません。

あのときの僕は本気で生きる選択肢を選べない、いえ、自らの意思で選ばなかったのです。

そうすることによって、

  • 面倒なことを避ける
  • 周りからの注目・嘲笑を避ける
  • 嫌な思いをしたくない

という明確な目的があったのです。

これは「自分がどっちの選択肢を選ぶのか?」というだけの問題なのです。

また、「ああいう生き方は自分にはできない」と思ったときのことを振り返ってみると、「一回やってうまくできなかったからやめた」ということもよくありました。

たった一回。

なんでもそうですが、たった一回やっただけでうまくできるようになるなんてことはまずないでしょう。

”今日死んでも後悔ないように生きる”という生き方だって一回やってみてすぐに身につくわけではありません。

一回やって、うまくいかなくて、もう一度やって…を繰り返して少しずつ身に着けていくものです。

あとは自分がその生き方をしようと思うか否か。

その決定権は自分自身にあります。

本当は誰もが一日一日を生ききった!と言い切れるほど充実した日々を送りたいと思っているはずです。

僕もまだまだその生き方ができているとは言えませんが、少しずつ進んでいきます。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。