こんにちは、ホロンです。
最近、僕のテーマが突きつけられるような出来事が立て続けに起きている気がします。
それらの出来事を通して、僕はやっぱり、
- 〜しなければならない
- 〜するべきだ
という思考になってしまうようだと気づきました。
頭では、これらの思考は自分自身を苦しくするだけだとわかっているのですが、いつの間にかこの思考に支配されているようです。
- 文句ばかり言わずに自分ができることをやるべきだ
- 食事は無駄にせずちゃんと食べるべきだ
- 汚れたままにせず掃除するべきだ
- 僕も含めてみんなもっと感謝の心を身につけるべきだ
- 相手の気持ちを考えた言葉がけをするべきだ
こんな感じで、最近は特に「〜べき」という考え方ばかりになってきていることに気づきました。
この「〜べき」という思考は
「〜でないといけない。それ以外は許さない」
と言っているも同じです。
「許せない」という考え方に知らず知らずのうちに陥ってしまっています。
これは僕が脱却したいと考えている人生における一大テーマだと最近特に強く感じています。
特によく使いがちな「〜べき」という言い方。
これは自分の中の常識を相手に押し付ける行為に等しいです。
人は一人一人違うもの。
その人にはその人なりのこれまで生きてきて身につけた常識やその人だけの正義があります。
それを理解しようとせずに自分の考えを押し付けようとするのはあまりにも身勝手です。
上記で上げた項目は一見間違ったことは言ってないように見えますが、それを人に押し付けるとなると話が変わってきます。
僕はまだまだ一人一人正義が違うということを真に理解できてはいないようです。。
もう一つ、潜在意識は自分と他人を区別しないという話も思い出しました。
他人に対して思っていることは自分に対しても思っているということ。
つまり、他人を許せないということは自分も許せないということです。
そして、自分を許せない人間が他人を許せるようにはなりません。
しかし、気づいたのならここから変わることもできます。
僕がこれからの人生で最も重視したいのは感謝の心で日々を過ごすこと。
ですが、その土台には許すという気持ちがあることが必要だとも思いました。
斎藤一人さんは天国言葉と称して、
- ツイてる
- 嬉しい
- 楽しい
- 感謝してます
- 幸せ
- ありがとう
- 許します
- 愛してます
の8つの言霊を唱えることを推奨されています。
正直、僕はこの天国言葉の中で「許します」という言霊には違和感がありました。
すんごい上から目線で
「仕方ねぇから許してやるよ」
って言っているように捉えてしまっていたからです。
しかし、この「許します」は自分自身を許すっていう意味だったんだなと今ならわかります。
そして、天国言葉の中で違和感を感じる言霊は自分のテーマなのだという話も聞きました。
確かに、自分自身、まだまだ自分も人も許せてないと感じています。
さらに怖いことに、許せないと体が固まって凝ってしまうそうです。
許すことは緩むことでもある。
確かに、許せない!って考えている人の体が柔らかいわけはありませんね。
僕は長い間、首コリと肩コリに悩まされ続けています。
これももしかしたら、自分も人も許せないから体が緩まらずに固まっているということなのかもしれません。
天国言葉の「ありがとう」と「ツイてる」は唱えてきましたが、「許します」をメインに据えて自分も人も許していく練習をしていきます。
できない日があってもいい。許す!
イライラする日があってもいい。許す!
人を許せないと思ってもそんな自分をも許す!
そうやって自分も他人も許していく人生にしていきます。
体も心もゆるゆるにして、せわしなく生き急ぐように生きるのではなく、余裕を持って遊ぶように生きることにします。
それでは今日はここまで。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。