雑記

思い通りになることの本質とは

こんにちは、ホロンです。

突然ですが、何もかもが思い通りにいかないと思うことってありますよね?

僕も日々感じています。

こんなに心穏やかに過ごすために必要なことを学んでいるのになかなか心の平安が訪れないとか、もっと言いたいことを言えるようになりたいのにできないとか。

時々、何もかも思い通りにいけばいいのになって思うこともあります。

ただ、本当に何もかも思い通りになったら、実際のところ退屈”としか感じられないのだと思います。

どんな趣味にしても、過程にこそ意味があるのです。

もしも、

「富士山の頂上の景色を見たいけど、登山はしんどくて嫌だから最初からヘリコプターで頂上に行こう!」

と思って、その通りに富士山の頂上にいきなり到着したとします。

さて、果たしてそれで感動するでしょうか?

おそらく、

「ふーん、こんな感じか」

と思って終わりなのではないでしょうか?

途中の登山という過程をすっ飛ばして得た頂上の景色という結果はそんなに感動もないはずです。

マリオのゲームだって、途中で落とし穴があったり敵が出てきたり、隠しギミックを見つけ出して進むから楽しいのです。

もしマリオが落とし穴も敵もギミックも何もなく、ただひたすらずーーーーーーっと一本道を走り続けてゴールするゲームだったとしたらただのクソゲーでしかありません。

つまり、思い通りになることの本質は”退屈”なのです。

人生とは思い通りにいかないということを含めて楽しむものなのです。

サッカーが面白いのは手を使っちゃいけないというルールがあるから。

ルールという名の縛りがあるからこそ、その縛りの中でどう戦うかを試行錯誤するのが楽しいわけです。

そのためのコツは、まず「楽しむと決める」こと。

楽しむと最初に決めてしまえば、途中のしんどいことだって最後の”楽しむ”という結果の伏線にすることができます。

まあそれが簡単にできたら苦労はないわけですが^^;

僕も「こんな状況なんて楽しめねーよ!」と思うこともありますが、そう思ってしまうことすらも最後の楽しむという結果の伏線なのだと思うことにしています。

何事も練習あるのみ。

「楽しむと決める」という練習をして、途中のしんどさすら将来への伏線にしちゃいましょう。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。