雑記

ネガティブな自分すら受け入れられるように

こんにちは、ホロンです。

さて、今日も書いていきましょう。

とはいえ、今日は本当にネタが思いつかないですね。

紙に書き出したり、まなゆいをしてみたりしたのですが、どうにもネガティブなことばかりが浮かんできてしまいます。

まあ、今日はそういう日なのかもしれません。

SNSとかを見てたらすごい人がいっぱいいます。

朝4時から起きて16時間とかぶっ通しで仕事をしている人だったり、動画3本にメルマガ2つ書く人だったり。

そういう人と比べてしまって、自分は全然ダメだ…って思ってしまうこともあります。

SNSを利用するときの注意点はそこですね。

誰かと比較して、「負けてたまるか!」と自分のやる気を引き出していけるようないい刺激になるのなら問題ありません。

しかし、すごい人と比較して落ち込んだり、逆に自分のほうが上だと仮初の優越感に浸ってしまうような使い方はよくありません。

そうやって無意識に比較してしまうくらいなら、もっと身近なところに目を向けたほうがいいでしょう。

そもそも日本という国は非常に恵まれている国なわけです。

水道の蛇口を捻ったらすぐに水が出てきたり、夜道を女性が独り歩きしていても問題ないなんてことは世界的に見ても非常に珍しい。

不足を見たらいくらでも不満は出てきます。

満たされたところを見たら、感謝の思いが湧いてきます。

比較してしまってるな…と感じたら、すでに満たされているところに目を向ける。

そうやって心の状態をいい方向に持っていくようにしたほうが良いでしょう。

ただ、ネガティブ=悪というわけでもありません。

「あれを食べたら死ぬかもしれない…」

「あの動物と戦ったら死ぬかもしれない…」

というネガティブな思考があったからこそ、我々の祖先は危険を回避して生き残ることができたわけですから。

ただ、現代では日常的に命の危機に瀕するような状況に陥ることがほとんどありません。

それにも関わらず、脳は昔の”常にいつ死ぬかわからないリスクに備える”状態のままアップデートされておらず、現代の環境に対応できていないのですよね。

そこが厄介なところです。

もしかしたら、そのうち今の時代に適応した”脳2.0”にアップデートされる日が来るのかもしれませんが、それを期待するよりは、今できることに注力していったほうが良さそうです。

本当のポジティブとはネガティブな部分すらもまるごと受け入れることだと聞いたことがありますが、まさにそう。

僕も、結構な割合でネガティブな自分が顔を出しますが、それすらも受け入れられるように日々練習中です。

にんげんだもの。

ネガティブになることだってあります。

それを無理やり隠してポジティブな部分だけを見せようとするほうがしんどくなるというのが僕の意見です。

比較して落ち込んでしまっていると感じたら、自分がすでに満たされているところに目を向けていくようにします。

なんかまた話が飛び飛びになった気もしますが、それでもいいじゃない。にんげんだもの。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。