雑記

間違ってるかどうかは死ぬまでわからない

こんにちは、ホロンです。

たまーに、

「自分の人生は間違ってるんじゃないだろうか」

と思うことがあります。

それは本当に突然訪れる感情で、なんの前触れもなく起こります。

「もっとすごいことを成し遂げている人がいるのに、自分はこんなことで良いのか?」

「あの時、別の選択肢を選んでいたら、もっと輝かしい人生になっていたのでは?」

そんなふうに、過去を振り返って後悔してしまうことがあります。

でも、僕なりの結論を言えば、

「自分の選択が間違ってたかどうかなんて、死ぬまでわからない」

ということです。

生きていたら本当にいろんなことがあります。

楽しいことも、辛いことも、寂しいときも、怒る時も、喜びに満ちるときもあります。

それだけでなく、今まで好きだと思ってたものが色褪せてしまうこともありますし、想定外の事態に翻弄されることだって珍しくありません。

そんなとき僕は、それらすべてが未来の自分にとって必要な経験だったのだと思うようにしています。

キレイゴト?そうかもしれませんね。

ですが、「過」ぎ「去」ったと書いて「過去」です。

過去はすでに過ぎ去ったものなのですよ。

であれば、それをどう解釈するかは自分が自由に決めることができます。

「あの時ああしてたら…」といくら過去を悔やんでも、残念ながら時間を巻き戻すことはできません。

何百回、何千回、何万回悔やんだとしても、それは変わりません。

ならば、今から変えられることに目を向けたほうが良いと思うのです。

過去の解釈を変え、「あれは未来の自分が素晴らしい人生を送るための伏線だったんだ」と考えたら、過去を悔やむことから抜け出しやすくなるはずです。

過去そのものを変えることはできなくとも、それを未来への伏線に変えることはできるのです。

少なくとも僕は、そう考えたほうが人生が面白くなると思っています。

だから、自分の人生が間違ってたかどうかは気にしなくていいですし、もっと言えば、間違ってもいいじゃんって思っています。

そもそも「正しい」「間違い」と考えること自体、どこかズレてるような気がしませんか?

正しさが人の数だけあるのなら、間違いもまた人の数だけあるということになりますよね。

なら、絶対的に間違ってることなんてものは存在しないことになります。

もちろん、他人の権利の侵害をしないのは大前提ですが、例えば、歴史に名を刻んだ偉人たちのエピソードを見てみると、その多くが世間の常識や規範から外れた行動を取っています。

かのガリレオ・ガリレイは「地動説」を唱え、当時の宗教観と衝突しました。

しかし、結果として彼の名は後世に語り継がれています。

どんなに辛い目に遭ったとしても、
最期に笑って「良い人生だった」と思えたら、それで勝ちです。

だからこそ、間違いを恐れず、最後まであがき続けたい。
そんなふうに僕は考えています。

それでは、今日はこのへんで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。