スピリチュアル

人生が終わるときにされる2つの質問

こんにちは、ホロンです。

人は死ぬときに2つの質問をされるそうです。

それが、

  • 人生を楽しんだか?
  • 人に親切にしたか?

という2つの質問。

僕は2番目の「人に親切にした」というのは今でも結構していると自負しています。

ただ、1つ目の「人生を楽しんだか」についてはちょっと疑問符を浮かべているというのが正直なところです。

まだまだ、

「〇〇をしなきゃいけない!」

という思考に陥ってしまっています。

今日もせっかくの休日にも関わらず予定をびっちり埋めようとして、

「いかにこの予定を今日中にちゃんとこなすことができるか?」

の方に焦点が向かってしまっていました。

しかし今日は妹の提案に乗っかって、

「自分が思い描いた予定通りに進まない一日」

というのを体験し、予定通りに過ごすことが大事というわけじゃないという感覚を久しぶりに思い出しました。

人生というのは確かに目標を立ててそれを達成するというのも大事なことなのかもしれません。

しかし、その過程で心が死んでしまってはそれこそなんのための人生かって話になってしまいます。

心が死んでしまうような生き方を自分の魂が喜ぶわけがありません。

自分がどういうことに楽しさを見出しているのか?

それをじっくり内観して、心の栄養を注いでいく必要があるのですよね。

そして、人は楽しい雰囲気のところに集まります。

自分が楽しくないのに他の人だけを楽しませようとしてもそれは決して長続きしません。

自分の心が満たされていないときにする「誰かのために」という思いは残念ながら空回りしてしまうものです。

僕はどうしても他の人のことを優先してしまって自分の心を置いてけぼりにしてしまう傾向にあります。

「もっと自分の心に正直にワガママに生きていい」と思う心と「他の人に迷惑をかける生き方をしてはいけない」という心の間で揺れ動いています。

ではどうするか?

一つ言えることは、

「すぐに変わらないといけない」

と思わないようにすること、です。

早く結果が出る人もいますが、その人たちと比べて

「早く結果を出さないと!でも結果が出ない…」

と考えてしまうと、後半の「結果が出ない」の方にフォーカスしてしまいます。

まずは、自分の心が惹かれるものがあったら、小さいことからやってみる。

そのときの自分の直感に素直に従って行動する。

それが大切なのではないでしょうか。

そういえば、外国では

「〇〇をした人、ここに眠る」

というように故人が生前どんなことをしたかを墓石に刻まれるらしいですね。

もし自分のお墓に「〇〇をした人、ここに眠る」と書かれると考えた場合、どんなことを書かれていたいでしょうか?

僕だったらそうですね…

「いろんな面白いモノの見方を追求した男、ここに眠る」

みたいな感じでしょうか。

そのためには僕自身まだまだモノの見方を追求する必要があると感じています。

モノの見方の追求に終わりはありません。

そのうちどんな状態の人の相談であろうと何らかのヒントを残すことができるようになりたいですね。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。