雑記

自分の世界は狭い

こんにちは、ホロンです。

さて、今日も書いていきましょう。

自分の世界って本当に狭い

今日は本屋に寄ったのですが、自分の見ている世界っていうのは本当に狭いんだなって実感しました。

世界っていうのは本当は呆れるほど馬鹿広いのですよね。

一口に「本」と言っても、膨大な種類があるわけじゃないですか。

例えば、本の中でさらに「マンガ」というカテゴリがありますよね。

そのマンガですらめちゃくちゃな数があります。

本屋にあるマンガを1つ残らず全て読んでいるなんて人はいないでしょう。

本屋に置いていないマンガだってありますしね。

しかも、あくまでマンガという1つのカテゴリでの話です。

本にはマンガ以外にも、

  • 自己啓発
  • レシピ本
  • 小説
  • イラスト集
  • 絵本
  • ゲームの攻略本

などなど、それこそどのくらいのジャンルがあるのかすらわからないほどありますよね。

当然、本を一切読まないという方もいらっしゃるでしょう。

そう考えると、自分が知っていることって本当に世界のごくごく一部なんだなって思います。

世界はだだっ広い

メンタルが落ち込むときって大体、自分の知っている世界がこの世の全てだって思ってしまうのですよね。

少なくとも僕はそうでした。

そんなメンタルが落ち込んでいる方にも

「今の世界が全てじゃない」

ということを本当にしっかり伝えておきたいです。

例えば、学校でいじめにあっているからといって、学校が世界のすべてなわけがありません。

小学生でもYouTuberやeスポーツとかで活躍する人はいます。

かのトーマス・エジソンだって、小学校をたった3ヶ月で中退しているのです。

しかし、今や誰もが知る発明王として名が残っていますよね。

彼は好奇心旺盛であまりにもいろんなことを質問しまくったせいで教師から

「お前の脳は腐っている!」

と言われていたそうです。

(ひどい…)

しかし、小学校を中退したあと、母親がエジソンにしっかり向き合い、好奇心が向くことは可能な限り打ち込むことができるような環境づくりを心がけたのだそうです。

さらに、質問は肯定的な言葉で応えていたのです。

母親の献身的な教育がなければ、エジソンの才能が開花することはなかったでしょう。

才能は誰しもに必ずある

人にはそれぞれの輝ける場所が必ずあります。

それを周りが見出そうとするか、自分自身が見つけようとするかで人生というのは大きく変わります。

自分にはなんの才能もない…なんてことは絶対にありません。

僕の話になって恐縮ですが、「将棋」というゲームがありますよね。

藤井聡太さんの影響で一時期「詰将棋」をしていたことがあるのですが、僕は将棋の戦法すらもよくわかっていません。

「振り飛車と居飛車っていう戦い方があるんだっけ?」

くらいの認識なのです。

ということは、将棋の駒の囲い方や戦法を知っている人は僕にそれを教えることができるということです。

もちろん僕じゃなくても将棋のルールを知らない人なんていくらでもいるでしょう。

他にも僕が認知すらしていないことなんて世の中にいくらでもあります。

同じように、他の人だって認知すらしてないことはいくらでもあるということです。

ということは、自分が興味を持っていることを勧めてみたら案外興味を持って見てもらえるかもしれません。

とにかく、世界というのはめちゃくちゃ広いのです。

僕はたまたまブログやスピリチュアルに関する知識ならまあまああると思っています。

本当にニッチな趣味で言えば、アニメや遊戯王カードに関する知識もそれなりに持っています。

でも、芸能人とかアパレルとか車に関する知識はほぼありません。

先日も友人からトヨタの車がいかに素晴らしいかということを熱弁されました。

僕は車にはほぼ興味がないのですが、世界を広げてもらえたと思いましたね。

普段何を調べてる?

自分の得意がわからない…という場合は、

「自分はインターネットで日々どんなことを調べているか?」

を考えてみたら、結構似たようなことを検索しているということが分かると思います。

そこで得た知識を誰かに喋るだけでも、その人の世界を広げることになります。

一度聞いただけでは忘れてしまうと思うかもしれませんが、

実は人の記憶というものは奥にしまい込むだけで完全に忘れ去るわけではないらしいですよ。

ふとした時に昔聞いた話が蘇ってきて、

「あのときの言葉に救われた…」

という経験がある人もいると思います。

そうであるならば、自分が持っている知識を人に教えることにはその人が悩んでいることへの突破口になる可能性があるとも言えます。

もちろん、相手がどう受け取るかはわかりません。

しかし、

「相手に悪いように受け取られたら嫌だ…」

と考えるのはちょっと厳しい言い方になりますが、自分のせいにされたくないという意識があるということです。

つまり、自分のことしか考えていないということでもあります。

相手がどう受け取るかは相手の問題です。

自分はなるべく齟齬が小さくなるように工夫しつつ伝えていけばいいのです。

もちろんそれは一朝一夕で身につくものではありません。

「うまく伝わらなかったな…」

を繰り返して繰り返して、少しずつ精度を上げていくしかないんじゃないかなって思います。

「どうしても否定されるのがこわい!」

という場合には、この人のことなら信頼できる!という人に絶対に否定しないことを条件に話を聞いてみてもらうと良いと思います。

少しずつ積み上げていきましょう。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。