スピリチュアル

ゴミは他人が落とした運

こんにちは、ホロンです。

今日はお休みだったので1日ゆっくりしていたのですが、お昼ごろに日傘を差しながら散歩にでかけました。

その時にふと思いついてポリ袋を用意してゴミもついでに拾おうと思ったのです。

悲しいかな、散歩コースには煙草の吸殻を始めとしてやはりゴミはそれなりにあります。

今日も1kmくらいの散歩でポリ袋1/3くらいのゴミを拾いました。

煙草の吸殻は15本前後、マスクやら雑巾やらよくわからないお菓子のゴミやら…

僕一人が拾ったところで環境大した違いはないと思う方もいるかもしれませんが、単純に自分の散歩コースにゴミが落ちていると気分がよくないのです。

また、自己満足の域を出ないのかもしれませんが、汚れたところがキレイになるというのはやはり気分が良いんですよね。

ゴミを拾う時にしゃがんだりもするので地味に運動にもなります。

ただ、汚れ物を素手で触るのはそれなりに抵抗があるため、火箸を用意しておきたいなとも思いました。

「ゴミは他人が落とした運であり、僕はそれを拾っているだけ」

と大谷翔平選手も言っていましたね。

少し前までは僕も、

  • 「一人がゴミを拾ったところでどうせ次の日には捨ててあるんだから意味ない」
  • 「偽善行為じゃないの?」
  • 「ゴミ拾いって”いいことしていますよアピール”しているみたいで嫌だ」

と穿った見方をしていました。

結局、これらの思考は全部他人から見た価値観に支配されているなって気づいたんですよね。

自分がそれだけ注目を浴びる存在であると自意識過剰になっているということでもあります。

確かにゴミ拾いをするときに何台か車とすれ違いましたが、僕はそもそも車に誰が乗っているかなんていちいち認識しません。

もしかしたら知り合いが乗っていたのかもしれませんが、少なくともわざわざ停車して話しかけられるようなことはありませんでしたね。

ついでに言えば日傘を差しながらだったので一瞬すれ違っただけだったら僕が誰だったかを判別することもできなかったんじゃないかなって思います。

自意識過剰を捨て去る訓練としても、ゴミ拾いは結構オススメです。

目の前のゴミが他人が落とした運ならば、1つ拾うごとに自分の運がよくなっていくと捉えることもできますね。

なにも火箸やポリ袋を用意するガッツリとしたゴミ拾いである必要はありません。

歩いていてたまたまゴミが目に留まったらひょいと拾ってポケットに入れるくらいの感覚でやってみると良いと思います。

「いいことしたな」

って気分になって自己肯定感をアップできるようにもなりますよ✨

最後までお読みくださり、ありがとうございました。