雑記

どっちが”主”でどっちが”従”なのか?

こんにちは、ホロンです。

今の時代はいろんなことを足していきたいと考える人が多いように感じます。

情報が溢れかえっている現代社会、色んな情報が手に入るとどうしても、

「自分も欲しい!」

という欲求が刺激されます。

そして、自分と他人を比べて優越感に浸ったり劣等感に苛まれたり。

そうやって「比較する」ことが多くなってきたように思います。

これはSNSなどで多くの人と繋がれるようになった弊害ですね。

インターネットがない時代だったら比較対象はせいぜい自分の近所の人くらいでした。

それが今や世界の裏側にいるような人とも繋がれるようになり、自分の生活とはかけ離れた世界を見ることができるようになりました。

そんな状態なら格差を感じても仕方ありません。

ただし、忘れてはいけないことがあります。

それは、「欲しいものというのは手に入れたその瞬間が一番高揚している」という事実。

手に入れたその時はめちゃくちゃ嬉しくても、何度も視界に入ればもはやあって当たり前のものになります。

数ヶ月もすれば最初のときに感じた高揚感はほとんど感じなくなっているでしょう。

そして、飽きて当たり前になってしまったら、次を求めるようになっていきます。

しかも厄介なことに、更に上位のものを求めるようになるのです。

確かに、「人間は飽きる」という性質があるからこそ経済が発展してきたという側面もあります。

人間は新しいものを求める生き物。

それはひとえに「飽きる」からです。

幼児のときにはアンパンマンやドラえもんが大好きだったという人も多いと思います。

しかし、大人になるにつれて大多数の人はアンパンマンやドラえもんからは興味がなくなっていき見なくなります。

それも”飽きたから”ですよね。

だから別の刺激を求めてドラマを見るなり他のものを求めるようになっていきます。

飽きること自体が悪いわけではありませんが、それに振り回されていてはいけません。

何かを手に入れることに対して自分が本当に欲しいと思って購入するのなら問題はありません。

しかし、本当は必要ではないのに、必要だと”思わさせられて”購入しているのならそれは主導権を握っているとは言えません。

自分の意志欲しいと思っているものが実は誰かから植え付けられた価値観に染められているのではないか?

と一度疑ってみることも必要です。

そういえば以前、こんな言葉を見かけました。

正確な文脈は忘れてしまいましたが、

「小麦を栽培するようになって人類は爆発的に繁殖するようになった。しかしそれは本当だろうか?本当は小麦が人類を使って自らを繁殖させたのだ」

という感じの言葉です。

この言葉を聞いたときにはかなり衝撃を受けたことを覚えています。

「実は僕ら人間のほうが小麦の奴隷なのか…?」

と。

本来、小麦などの穀物類は人間の体には合っていないそうですね。

ですが、穀物は人間の主たる栄養源の1つである炭水化物が豊富に含まれており、しかも栽培すれば一度に大量に手に入ります。

だからこそ、人口増加のための食物として穀物は最適だったようです。

しかしこれは、小麦が人類を奴隷にして自分たちの領土を広げていると見ることもできるのです。

さてさて、これは果たして人間と小麦のどっちが”主”でどっちが”従”なのでしょうね?

なかなかゾッとする話です。

小麦の話は農業しない人にはピンとこなかったかもしれません。

では、今や使わない人のほうが少ないインターネットやスマホで例えたらどうでしょう?

僕らは果たしてインターネットやスマホを”使っている”のでしょうか?

それとも、インターネットやスマホを”使わさせられている”のでしょうか?

小麦の例と同様、スマホを手に取るように知らず知らずのうちに誘導されてしまっているのではないでしょうか?

TVアニメ「ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~」のOPでも電車内で狂ったようにスマホをいじるゾンビの姿が描かれています。

まさに主導権がスマホの方にあり、人間はただスマホに従うだけという状態を表しているといえます。

スマホをいじっているときの自分の顔を撮影してみたら、生気が抜けたような顔をしているのは容易に想像つくはず。

それはこのアニメに出てくるゾンビのような状態になってしまっているとも言えます。

果たしてコレは”生きている”と言っていいのでしょうか?

ただしもちろん、偉そうなことを言ってる僕自身スマホを使いますしパンだって食べます。

現代社会で穀物を全く食べず、インターネットを使わない生活をするのはかなり難しいでしょう。

しかし、自分がただの家畜やゾンビに成り下がってないかどうかと客観視することは大切です。

客観視した結果、それでも変わらないことを選択するかもしれませんし、行動を変えたいと思うかもしれません。

それは一人ひとりの選択次第です。

僕ができることとしては、思考停止にならずに考え続けることでしょうか。

今回の「人間が小麦やスマホに使われている」という話も1つの思考実験です。

人によっては妄言だと鼻で笑われるでしょう。

ただ、色んな視点があるんだと考えるキッカケになったら嬉しいなと思います。

それでは、今日はここまで。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。