雑記

飽きたら勝手に次に行く

こんにちは、ホロンです。

1日2000文字チャレンジ18日目。

さて、今日も昨日と同様に無音の状態で頭に浮かんだことをノートに書きなぐってみました。

そうして書いていったことの1つに、

「飽きたら勝手に次に行く」

というものがあったので、今日はこれについて主に書いてみます。

では本題。

人というのは飽きる生き物です。

幼児の頃にハマっていたものに大人になった今でも夢中でやっているという人は少ないでしょう。

砂場で城や泥団子を作る、アンパンマン、蟻の行列をじっと眺めるなどなど…

子供の頃にハマっていて、今でもそれが好きで好きでたまらないというものがありますか?

もしあるなら、それは非常に大切なものです。

昆虫が好きでたまらないなら、昆虫博士になれるかもしれません。

好きな気持ちは大切に育てていきましょう。

しかし、多くの場合は子供の頃にハマっていたものは卒業して別の楽しいものを探し求めているのではないでしょうか。

人間は同じものばかりだと飽きてしまい、他のなにかを求めてしまう生き物です。

それと同時に、今までと同じことに安心感を覚える生き物でもあります。

それがなにかはもちろん人によって異なります。

ひたすら知識を入れるのが好きな人もいれば、何かを作ることに楽しみを見出す人もいるでしょう。

しかし、基本的に人は、

「飽きるという経験をすれば、自ずと次のレベルを求めるようになる」

ものです。

逆に、飽きるという経験をしなかったらいつまでも不完全燃焼になってしまいます。

例えば、ゲームばかりしていてつい取り上げたくなるという気持ちはよくわかりますが、とことんまでやらせてみるというのも一つの手です。

僕や僕の弟も20歳を超えてもゲーム三昧の日々でした。

しかし、とことんまでやったことで、今では僕も弟も全くと言っていいほどゲームをやらなくなりました。

おかげでスマホゲームに時間を吸い取られることなく別のことに時間を使えています。

あれがもし途中で取り上げられていたら、今でもゲーム三昧の日々を送っていたかもしれません。

だから、特に小さい頃にはとことんまでやらせてみるというのが大事なのです。

つい人は、

「このまま行くとこの子は失敗してしまうから助けてあげよう」

というふうに気を利かせて手助けをしようとするもの。

それが自分の子供など近しい人であればあるほど手を出したくなってしまうでしょう。

しかし、ここはグッと我慢です。

なぜなら人は失敗するという経験も通して学ぶものだからです。

人が成長するときはうまく行ったときではなく、むしろ失敗したときではないでしょうか。

「あのときなんであんなことをしてしまったんだ…もう二度としない!」

と心から誓うからこそ、同じ過ちを犯さないように行動を改めるのです。

失敗という経験を取り上げてしまったら、その学びを得るチャンスを奪うことになってしまいます。

成功だろうと失敗だろうと、まずは自分の力で最後までやったんだという経験を積ませてあげるのが大事というのが僕の意見です。

それに、たとえ今手出しをしたことで失敗を避けられたとしても、この先の人生で遅かれ早かれ必ず何かしらの失敗はします。

むしろ、心身が成長しきってからの失敗のほうがダメージが大きく、人によっては立ち直れなかったりするものです。

赤ちゃんの頃は体が柔らかいので転んでも大怪我に至ることはそうありませんが、年を取るにつれて体は固くなっていきますので、転ぶと大怪我につながる可能性が高まります。

だからこそ、なるべく小さいうち・初心者のうちから失敗という名の経験をどんどん積ませてあげるのが先を行っている人の役割なのではないでしょうか。

もちろん、致命傷は避けます。

道の先が崖に続いて二度と戻ってこれないのだとしたらそれは止めなければなりません。

しかし致命傷だけは避けてあとは信じて見守ってあげるというスタンスでいることが基本になります。

それに手出しされた側からしても、誰かに言われたとおりにやって、それでもしうまく行ったとしても素直に喜ぶことができません。

そして、誰かの言ったとおりにやってうまくいかなかったとしたら、

「言ったとおりにやったのに失敗したじゃないか!」

と責める材料を与えることになります。

いずれにせよ、先を行く人は相手に干渉しすぎないという姿勢を心がけなければならないという意見です。

ではなぜ干渉しようとしてしまうのか?

それはやはり、

「結果を早く求めるから」

でしょう。

なにか失敗したら、当然目標達成までには時間がかかってしまいます。

その時間を惜しむあまり、手助けをしてしまうのです。

人によっては、

「人にやらせたら失敗するから自分でやったほうが早い」

と思ってしまうかもしれませんね。

もちろん、右も左もわからない状態ならば、最初はこういうことをすればいいとアドバイスをしてあげるのはいいと思います。

しかし、ある程度方向を導いてあげたなら、そこからはその人を信じて託すことです。

支える側は支えることで自己満足を得られるかもしれませんが、支えられている側は支えがなくなったら一人では立てなくなってしまいます。

干渉はほどほどにして見守る。その代わり、しっかり観てあげる。

これが時間に追われる現代人には非常にハードルが高いことだと思います。

できることからやっていきましょう。

僕もまずはなにか話しかけられたら手を止めて話を聞くところからスタートしてみます。

最初のテーマから少しずれてしまった気もしますが、今日はここまで。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。