こんにちは、ホロンです。
時々、僕の思考の中で、「これはやりすぎちゃダメだな」と思うことがあります。
それは、
「これをやっていて一体なんの意味があるんだろう?」
という考え方です。
一旦この思考にハマると、自分がやっていることのすべてに意味を見出そうとしてしまい、結局全然動けなくなってしまう…という経験を、もう数え切れないほどしています。
特に、趣味をやっているときに、この思考に陥ってしまうことが多いのです。
漫画、アニメ、ギター、ゲーム、散歩…どれを楽しんでやっていても、
「こんなことやっていて、なんの意味があるんだ?」
という考えが浮かんでしまうと、そこから全然楽しめなくなってしまうのです。
もちろん、
「新しい知識を得るのが楽しい!」
「知識を得ることで、誰かに貢献できるかもしれない!」
「少しずつ上達していくのが楽しい!」
「他の世界を疑似体験するのが面白い!」
などの理由を、頭では理解しているつもりです。
ただ、一旦「意味を見出す」思考にハマると、そこからなかなか抜け出せないのが厄介です。
そこで、”今”これを書いている僕が、この思考に対して言えることがあります。
「これをやっていて意味があるのか?」という疑問は、「これをやっていけば絶対に将来に繋がる」と確信できるものを求めているということ。
しかしそれは同時に、”今ここ”に集中できてないことの証明でもあるのです。
過去や未来は、結局のところ、自分の頭の中にしかありません。
たとえ過去に事実としてあった出来事だったとしても、それは”今”の自分には関係がないことです。
世界五分前仮説のように、「その出来事があったと記憶した状態で五分前に世界が誕生した」可能性もあるのですから。
ましてや、体験してない未来のことなら、尚更です。
もちろん、やっていることの意味を考えるのは大切です。
行動を振り返り、改善していく必要はあるでしょう。
しかし、”今”に集中できなかったら、”今”を味わい尽くすことはできません。
過去も未来も、”今ここ”にいる自分が体験するものです。
意味を考えすぎて動けなくなってしまうくらいなら、まずは動いて、それから意味を後づけするという順番でも良いのではないかと思うのです。
僕たちがやってきたことの意味付けは、自分でつければ良いんです。
正解の道はどれかを探すよりも、自分が歩いてきた道を正解にしていく生き方のほうが僕は好きですね。
皆さんはどう思いますか?
最も、今はこうして冷静に書けていますが、ふとした時にまた同じ思考に取り憑かれることもあるでしょう。
その時にはこの記事を、自分自身に向けた取扱説明書のように、繰り返し読めば良いかなと思っています。
それでは、今日はこのへんで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。