雑記

人間の生きる意味は「生きた証を残すこと」なのかもね

こんにちは、ホロンです。

人間というのは、「自分の生きた証」を残そうとするものなのだろうなと思います。

それが子どもであれ、作品であれ、知識であれ、何でも良いから、

「自分という人間がこの時代に確かに生きていたんだ」

と誰かに知ってもらいたいものなのではないでしょうか。

そして、それは自分ひとりでは絶対に達成できないことです。

子どもはもちろんですが、作品や知識も、見てもらえる誰かがいるからこそ、それらを伝える意味があるからです。

本当に世界に自分ひとりだけしかいなくなったとしたら、誰かに見つけてほしいと思うものなのではないでしょうか?

「生きることに意味なんてなくて死ぬまでの暇つぶし」という意見もありますが、僕個人の考えでは、僕らが生きているのは、「誰かに何かを託すため」なのではないかと思っています。

例えば、僕のブログは、自分が感じたことをそのまま書いているだけのものですが、これも

「僕という人間がいたんだよ」

という存在証明の意味合いもあります。

人間は誰かから必要とされたいと思うようにできているものです。

だから、人間という字は「人と人の間」と書くのです。

そう考えると、自分ひとりだけが成功者になって社会から離れて全く働かなくていい状態(いわゆるFIRE)になっても、誰かへ貢献しようと思わなければ虚しさが込み上げてくるだけなのではないでしょうか?

もっとも、僕自身はFIREを経験したことがないので、あくまで想像の域を出ませんし、FIREへ憧れる気持ちもわかります。

ただ、いわゆる典型的に思い浮かべるお金持ちのように、タワマンに住み、高級車やブランド品をたくさん所有し、美女を何人も侍らせ、高級なお酒を浴びるように飲み、この世の快楽という快楽を貪った先に幸せがあるとは、僕にはどうしても思えないんですよね。

それは自分という人間ではなく、自分に付属しているお金とかアクセサリーに集まってるだけのように思えるからです。

そうではなく、素の自分を愛してほしいというのが人間の本心ではないでしょうか?

ちょっと話がそれましたが、もし人間が生きる意味が自分の証を残すことだとしたら、一体何を残していきたいでしょう?

僕が目標としているのは、

  • 僕のブログを読んで発信してみようと思ってくれる人を一人でも増やす
  • 自分が好きなものや好きな人をたくさん広める
  • 日本がどんどん良くなっていくような関わりを持つ
  • 日々の小さな感謝をもっと感じられるようになる

といったところでしょうか。

アウトプットのやり方は千差万別で、どんなものでも構いませんが、生きて人と接する以上は絶対に誰かに影響を与えているものです。

どうせなんらかの影響を与えるのなら、誰かに良い影響を与えられる人間を目指していきます。

もしよろしければ、一緒に目指してみませんか?

それでは、今日はこのへんで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。