雑記

500文字でも写経をしてみる

こんにちは、ホロンです。

昨日言ってたとおり、1日500文字でいいから写経をしてみようと思い、やってみました。

写経することで分かること

たかが500文字の写経でも、時間を計ってみたところ(僕の場合は)7分30秒かかりました。

ブログをされている方は分かっていただけると思いますが、

ブログは多少の引用文を除けば1000文字以上を自分の頭で考えられて書かれているはずです。

一から書く内容を考え、どんな言葉遣いをするかを考え、わかりやすい表現になっているかを精査、誤字脱字がないかをチェックするなど様々な過程があります。

当然、文字数が多ければ多いほどものすごく時間がかかることは想像に難くありません。

僕の書いているブログは1000文字程度ですし、お世辞にも整った文章とはいい難いですが、それでも書き上がりに1時間以上かかってしまいます。

しかし、読むときには1000文字程度なら3分もかからず読めてしまいます。

それを3000文字とか、ましてや1万文字以上書かれている人なんてどのくらい時間がかかるのかもはや想像もできません…。

生み出す側の苦しみ

料理でもなんでもそうですが、作る時はとてつもなく時間がかかっても、消費される時は一瞬。

そしてその一瞬で「すごい」「いいな」「また味わいたい」と思ってもらえなければ二度と来てもらえることはありません。

生み出す側の苦しみというやつですね。

消費する側からしたら、生み出す側がどんな苦労をしたのかなんて知ったことではない。

それがよく分かるので、僕もなかなか生み出す側に回ることが出来ませんでした。

人は自分のやったことに対して何らかの対価をもらいたいものです。

お金だったり、褒め言葉だったり、成長している実感だったり。

しかし、何か生み出したとしても対価をもらえないことなんてよくあることです。

その対価をもらえない状況が続くことに耐えられずにほとんどの人はやめてしまうんですよね。

偉そうなことを言っているようですが、僕だって、今でもちゃんとしたものを生み出せているのかもよくわかりません。

「こんなことやって意味あるのかな…」

と思うことも一度や二度ではありません。

しかしそれでも、ただ与えられたものを消費するだけの人生では

  • やってもらって当たり前。むしろもっと楽しませろ。
  • こいつは間違ってる。こっちの考えが正しい。
  • なんでこんなに面白くないことばかりなんだ。

といった思考に陥ってしまう人生になってしまうように感じてなりません。

その人生を歩むことだけは避けたかったんですよね。

何でもいいから何かを生み出す。

この世はそうしないと楽しい人生にはならないように出来ているのかもしれませんね。

まとめ

何かの本で読んだことですが、

「宇宙では思いついたことはその瞬間に実現してしまう。でもそれでは面白くない。わざわざ行動して、〝うまくいかない〟という経験を通した物語を体験するために人間は生まれてくるんだ」

というような文言を目にしたことがあります。

(うろ覚えなので多少文言は違うかもしれません。)

いろんな見方があって面白いですね。

うまくいかない経験もいつか財産になる。

焦らず、じっくり取り組んでいこうと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。