雑記

誤解があるからドラマもある

こんにちは、ホロンです。

今日はこのブログを30分で書いてみるという試みをやってみます。

ではスタート。

なぜ30分と決めたかというと、今日は本当にネタが全く思い浮かばなかったからです。

ならばあえて時間制限を設けて、30分経ったらどれだけ中途半端だろうとも投稿すると決めたら何かを書ける気がしたのです。

文脈がいつも以上に意味不明なことになってしまうかもしれませんが、とにかく書いてみます。お目汚し失礼いたします。

さて、実際問題僕は自分が何を言いたいのか自分でもわからなくなるときがあります。

もっとしっかりと書きたいことを整理してから書けばいいのになと思うものの、僕は頭の中で色んな可能性を考えてしまって動けなくなってしまうタイプです。

  • こう言ったら〇〇と思われるのではないか?
  • 断言するのが大事というが真実かどうかの確証もないのに断言しても良いのか?
  • 全員は無理でも多くの人に当てはまる内容か?

とかどうしても考えちゃうんですよね。

石橋を叩いて壊しちゃうタイプなのです。

しかし、そうやって悩んでいてもどうせ全員に当てはまることを言うことなんてできません。

しかも、誰かに何かを伝えるというのは絶対に誤解が挟まります。

伝えたいことが100%伝わるなんてことは絶対にないわけです。

でも、その誤解があるからこそドラマも生まれるんですよね。

誤解が全く無かったとしたら他の可能性はすべて排除されてしまう事になり、それ以上のものは生み出すことができません。

どうせ誤解が挟まってしまうのなら、見切り発車でもいいからとりあえず始めてみようと思ってようやくブログを始められたという経緯があります。

そうしていざやってみたら自分が言いたいことがあっちこっち飛び飛びになったり、以前と言っていることが違ったりすることも多々あり、結構へこんだりもしました。

こんなに自分は思ったことを形にする能力がないのか、と。

まあ、最近はそれも人間らしいかなって自分で自分を肯定するようにしています。

調子がいいときも悪いときもある。

何が言いたいのかわからなくなってしまうこともある。

でも重要なのは、調子が悪い時が続いたとしても諦めることなく継続が出来るかどうかじゃないかと思うのです。

そりゃ自分に全く向いてないとわかっているものにしがみつくのも違うのかもしれませんが、少なくとも一度や二度やっただけで次々やることを乗り換えてったら身につくものも身につきません。

1つ決めたら徹底的にできるところまではやる。

そうやっていくうちにどこかで花開くものなんじゃないかなって僕は思っています。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。