雑記

すごい人たちはたくさんいるけど比べるのはやめる

こんにちは、ホロンです。

僕は尊敬する人がたくさんいます。

  • ひすいこたろうさん
  • 羽賀ヒカルさんや新田祐士さんをはじめとする「ゆにわ」の皆さん
  • 両学長をはじめとする「リベシティ」の皆さん
  • 山納銀之輔さん

などなど。

もちろん、現実に存在する人だけに限らず、歴史上の人物、アニメや映画などの架空の人物にまで範囲を広げたらそれこそすごい人たちばかりです。

ただし、そういう人たちを尊敬する一方で、

「僕はこの人たちみたいにはなれない」

とも思っていました。

この人たちの活動を追っていけば追っていくほど、その目指す理想が高すぎて眩しく感じてしまうことがあるのですよね。

それが苦しくなってしまうことも多々あります。

これは歴史上の人物や架空の人物たちを見てもそう思います。

例えば、幕末の時代だったら吉田松陰をはじめとして日本を本気で良くするためにものすごい偉業を達成された人たちが数多くいますよね。

しかし、偉人と言われる人たちは必ずといいほど理不尽な目にあっています。

偉人の中には一見報われないような生き方をされている人たちも多くいます。

学問の神様として知られる菅原道真はあらぬ疑いをかけられて大宰府に左遷され、疑いが晴れることなくそのまま亡くなられていますからね。

それでも、その理不尽を乗り越えて次の世代に志を繋いできた人たちばかりです。

だからこそ歴史に名が残ったのでしょう。

そういうのを見ていると、

「自分にはそこまでの覚悟はないなぁ…でもこの人たちは本当にすごいから憧れるなぁ…」

という気持ちになるのです。

人は太陽がなければ生きられないけど、イカロスの翼のように太陽に近づきすぎたら墜落してしまう。

そんなイメージでしょうか。

しかし最近は、

「憧れている人そのもののようになる必要はない」

と思えるようになってきました。

確かに、本来もっと次のステージに行っていておかしくないのにいつまで似たようなところで足踏みしているのかと自分を責めたくなるようなことはあります。

しかし、そう考えてしまうのは大きな変化がすぐに起きて欲しいと無意識のうちに思ってしまっているということなのでしょう。

確かに、大きく世界を動かそうとするならそれ相応の覚悟が必要です。

ただ、僕らは偉人たちのように大きく世界を動かす必要はありません。

自分の周りにいる人達にちょっといい影響を与えるくらいのことをしていけばいいのです。

ありがとうと声掛けをするとか、職場にゴミが落ちてたら拾うとか、物品を補充しておくとか。

これを知ってもらうことで心を暖かくなってくれたらいいなって思った動画や記事を拡散するとかでもいいでしょう。

応援している人に直接お手紙を書くなどしてみても良いかもしれませんね。

自分ができる小さいことから始めていけばいいのです。

その小さな善意がバタフライエフェクトのように少しずつ大きく広まっていくものなのだと僕は思っています。

比べるのはあくまで過去の自分です。

もちろん、ものすごい人と出会って自分も何が何でもその人のようになるんだ!という強い意志があるなら素晴らしいことですが、なかなかそこまで思える人は僕を含めてそんなにはいないでしょう。

だからこそ、まずは昨日の自分より0.1%でも成長していればいいのです。

昨日の自分より0.1%成長するを毎日繰り返していけば、1年で36.5%成長できるということになります。

もちろん、時には三歩進んで四歩下がっているように感じることもあると思います。

でも、そういう遠回りすらも楽しんで生きていきたいですね。

人間は近道を行きたがるものですが、遠回りをした人は遠回りをしたからこその景色を語ることができます。

だから、結果だけを重視するのではなく、過程をも楽しめるのが最強の力なのだと思うのです。

人と比べることもあるし、焦ることもイライラすることもあるけれど、それも含めて自分自身です。

最後にはみな「死」というゴールを迎えるという点では同じです。

今までの歴史上死ななかった人はいないのですから。

だからこそ、回り道も楽しんでいきましょう。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。