雑記

人間の感覚って元々は鋭いんだろうね

こんにちは、ホロンです。

1日2000文字チャレンジ5日目。

さて、今日も書いていきましょう。

今日は早出でした。

最近はアラームなしでも自然に目覚めることが多くなってきたとはいえ、やっぱり予想以上に眠ってしまうことが多いです。

仕事の日はちゃんと目覚められるのですが、遅刻しないよう念のためにアラームをセットして眠りました。

とはいえ、僕はアラームがどれだけ大音量で鳴り響こうとも関係なしに眠りこけることが圧倒的に多いです。

果たして無事に起きることができるのか…?

と若干不安になりつつも、就寝しました。

しかし、そんな不安はなかったかのようにパッと目が覚めたのです。

そして面白いことに、まだ時計を確認してないのに、

「あ、今たぶん5時ごろだな」

というのが直感的に理解できました。

実際に時計を確認したところ、4時55分でした。

最近はアラームなしでも目覚められるようになってきたとはいえ、時計を見る前からおおよそ5時頃であるとわかったのは多分初めての経験です。

人間の体というのは本当は時計などなくても、現在が大体何時頃かというのは直感的にわかるものなのかもしれませんね。

当然、昔は時計がない時代だってありました。

そういう時代には、朝日が登ったら活動し、日が沈んだら眠るというごく当たり前の生活をしていたはずです。

それが今では、蛍光灯やLED電灯などのおかげで夜でも昼のように明るい環境で動くことができるようになりました。

24時間という時間を効率良く使うことができ、いろんなものを生み出すことができるようになっていきましたね。

が、その結果本当に人類は幸せになったのでしょうか?

甚だ疑問であると言わざるを得ません。

確かに、現代社会は様々な文明の利器の登場で生活は便利になりました。

スイッチひとつで洗濯・すすぎ・脱水までやってくれる洗濯機などの登場は革命だったと言っていいでしょう。

僕が生まれたときは確か二槽式洗濯機でしたが、もう洗濯機は身近な存在でした。

当然、洗濯板で洗濯物を洗ったことなんてほとんどありません。

それは言い換えれば、多くの現代人は洗濯機がないと洗濯することすらできないということでもあります。

洗濯機は電気で動いていますので、停電などがあったら一発で終わりです。

他にも多くの電化製品に囲まれた現代は電気が生命線になっています。

電気が使えない生活を僕はもうイメージすることができません。

あまりにも文明の利器に頼りすぎると何らかの理由でそれがなくなったときに何もできなくなってしまう。

このことはしっかりと認識しておく必要がありますね。

人間はやってもらうことが当たり前の状態になると、どんどんサボることを覚えようとしてしまいます。

そうしていたらやがて雑巾がけすらすることができなくなってしまうでしょう。

昔の作品ではありますが、

映画ドラえもん のび太とブリキの迷宮

という映画が非常に印象に残っています。

この映画の中では、チャモチャ星という星で人間の生活を楽に便利にするためにどんどんロボットを開発し、ロボットに働かせていく様子が描かれています。

ついには、発明することすら面倒くさくなり、ロボットを開発するロボットである「ナポギストラー博士」というロボットを作ります。

そのナポギストラー博士の最大の発明品が、イメージしただけでロボットに自分の意志を伝えることができる「イメコン(イメージコントロール)」という機械です。

その機械のおかげで人間は指一本動かすことなく生活できるようになりました。

しかし、そうやって生活していった結果、チャモチャ星の人間は普通に歩くことすらできないほどの虚弱体質になってしまいました。

そうして、ついにはロボットによる反乱が起き、ロボットが支配する星に変わってしまいました。

これは映画の中のお話ではありますが、現実社会もこれに近いところに行きつつあるように思えてなりません。

人間の体は使わなければどんどん衰えていくもの。

そして、脳は楽ができる方向に進んでいきます。

現実世界でもGoogle Homeなどで声掛けのみで家電を動かすことができるようになってきていますよね。

もし、この映画のようにいずれイメコンが発明されて指一本動かすことなく生活できるようになったとしたら…?

そこに果たして幸せはあるのでしょうか?

文明の利器は便利なものです。

それによって助かったものや救われたものも確かにあります。

僕がこうして自分が考えていることをブログとしてインターネットの海に投げることができるのもインターネットやパソコンのおかげです。

ですが、機械はあくまで補助として使うものであり、依存してしまうのはかなり危険です。

依存しすぎてしまうと、

「それがないと何もできない状態」

になってしまいます。

現代で言えばスマホがその最たる例でしょう。

スマホはあまりにも便利すぎるがゆえに依存的になってしまいがちです。

しかも、スマホをいじっている時間が幸せかと言うと実はそうでもない人が多いのではないでしょうか。

確かに、スマホは瞬間的に楽しい情報にアクセスすることはできますが、その気持ちは一瞬のうちに消え去ってしまうものが大多数です。

実は日光浴や美味しいご飯を味わって食べているときなど、文明の利器から離れたときのほうが幸せを感じるのではないでしょうか?

これからの時代はそんなふうに人間に本来備わっている感覚を大事にしていくことが必要になってくるでしょう。

さて、今日はここまでとします。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。