雑記

結果と過程

こんにちは、ホロンです。

最近また、「早く結果を出したい」という考えに取り憑かれているなと思います。

昔からそうですが、僕にとっての課題は結果を早くに求めすぎることです。

ギター、将棋、絵、自転車、ブログ…

いろんなものに手を出してはすぐに辞めてきました。

それもひとえに、

「早く結果を出したい!」

という焦りの気持ちがあるからだと思います。

自分よりも後に始めた人が先に結果を出したらなんか負けたような気にもなってしまっていました。

確かに、練習している時間って一見無駄なように感じてしまいます。

その時間は目に見える成果が何もないように思えてしまうからです。

野球だったら素振りしている時間があるならたくさんホームランを打ってみたい!と思うでしょう。

ギターだったらFコードで躓いてないで高速ピッキングできるようになりたい!と思うでしょう。

ですが、目に見える成果は目に見えない努力の末に出てくるものです。

「今日、誰のために生きる?」の文言を引用すれば、

「挑戦するということは、新しい自分に会えるという行為なんだよ。挑戦には失敗がつきものだけど、いつか失敗のネタが尽きる時が来る。失敗が満員御礼になる時が来る。そうしたら、成功するしかないんだ」

引用:「今日、誰のために生きる?」66ページ

成功とは失敗が満員御礼になったときに現れるもの。

結果のみに執着してたら結果が出ない時間が無駄に感じてしまい、結局やめてしまうことになってしまいます。

だからこそ、

「結果だけが全てではない。結果だけではなく、過程をも楽しむ」

という意識でいたほうが良いんじゃないかなって思ってます。

マンガとかでもよく、

「なんでも始めたらすぐに人並み以上にできてしまう天才肌のキャラ」

というのが出てきます。

しかし、僕の知る限りそういうキャラってだいたい人生に退屈していますよね。

それは、

「なんでもすぐに結果が出せてしまったら面白くない」

ということでもあるでしょう。

もっとも、最後の最後に残るものは結果だけかもしれませんし、結果が出てない僕が過程も大事だよと言ったところで、ただの負け惜しみなのかもしれません。

それでも、結果のみに意識を向けるというのは個人的にどうにもしっくりきません。

かの「銀河鉄道の夜」を書いた宮沢賢治や「クトゥルフ神話」を書いたラヴクラフトは生前は作品をほとんど評価されず、死後に友人たちが作品を広めたとされています。

結果がいつ出るかなんてことはわかりません。

だからそこに執着せず、結果が出てないモヤモヤまで含めて楽しむという意識でいること。

それが大事なんじゃないかなって思っています。

もちろん、宮沢賢治たちのように死後に評価されるのではなく、生きてる間にその結果を享受したいと思う人が大半でしょう。

それならば、やはり一番の近道は結果が出ている人に直接教えてもらうことでしょうね。

自分一人で延々と悩んでいるよりも、一歩先を行っている人に教えてもらえば一発で解決するなんてことはよくあります。

どちらにしても、後悔のない選択にしたいですね。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。